Forget-me-not

備忘録

文学部に行って良かったと思うこと

分かるまでにすごく時間がかかったんです。
在学中はもちろん、卒業しても暫くは分かることがありませんでした。
忘れたくないので、ふと思い出した今書き留めておきます。


就活のとき工学部や法学部の男の子に「文学部って何やってるの」と聞かれ、「学科によって色々なんだけど、私が行ってる日本文学科に関しては文学作品を様々な視点から解釈したり、作者について研究したりしてるよ」と答えたら「それ何の意味があるの」と聞かれ、言葉に詰まってしまいました。
テレビ局の面接で役員のおじいさんに「何故就職に不利な文学部に入ったのですか」と聞かれ、「それを学びたいと思っていたからそうしました」と答えたら鼻で笑われました。

「文学を学ぶ意義」

分からない人には一生分からない。
何なら通っている学生ですらも殆どが納得できる答えを持っていないと思います。

私も入学して暫くはそんな意義について考えたこともなかったのですが、2011年の3.11の直後に発行された学部誌に、とある教授が「我々無用の学問を研究する者たちには今何が出来るのか」といったことを書いているのを読んで初めて、私がずっとやりたいと思ってきたこの文学という学問が「無用の学問」であることに気付いたんです。
確かに、文学作品の研究をいくらしたところで誰の役にも立ちません。
強いて言えば自分や人の心を豊かにする程度。
いくらやったところで「たのしい」という以外に確たる実益は何も無い。
そんなことに気付いてしまった時の衝撃たるや無かったです。

しかし、就職活動で馬鹿にされたり意地悪な質問を投げかけられた時、精一杯言い返しながら文学という学問の意義について向き合うにつれて、段々と分かってくるようなことがありました。
それを正確に明文化してくれているものを先日Twitterで見つけたので、書き留めておきます。




「文学部で学んだことがらは、皆さんお一人お一人の生活の質と直接関係している、ということです。私たちは、生きている限り、なぜ、何のために生きているのかという問いに直面する時間がかならずやってきます。」

「文学部で学ぶ事柄は、これらの「なぜ」「何のために」という問いに答える手がかりを様々に与えてくれるのです。いや、むしろ、問いを見いだし、それについて考える手がかりを与えてくれると言う方がよいでしょう。」

「文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったときではないか、と私は考えます。」

「人生には様々な苦難が必ずやってきます。恋人にふられたとき、仕事に行き詰まったとき、親と意見が合わなかったとき、配偶者と不和になったとき、自分の子供が言うことを聞かなかったとき、親しい人々と死別したとき、長く単調な老後を迎えたとき、自らの死に直面したとき、等々です。その時、文学部で学んだ事柄が、その問題に考える手がかりをきっと与えてくれます。」

「人間が人間として自由であるためには、直面した問題について考え抜くしかない。その考える手がかりを与えてくれるのが、文学部で学ぶさまざまな学問であったというわけです。」



阪大文学部長さんのブログに式辞の全文が載っていたのでそちらもメモしておきます。
ネットに載ってる情報はいつ消されてしまうかわからないので必死です。

これまで規模の大小問わず色んなことに興味を持って取り組んで来ましたが、その全ての選択、全ての費やした時間を無駄だと思いたくないし、無駄にするかしないかは自分がそれを上手に活かせるかにかかっていると思うんです。
だから、こういう素敵な文章はいつまでも覚えていたいなと思うのでした。



こんなことをふと思い出したキッカケは、今流行りの牛乳石鹸のWEBムービーについて書いたはてな匿名ブログの記事でした。
こちらの記事が例のムービー作品を非常に文学的に読み解いていて、且つかなり納得できる内容だったので、そこから何となく文学部に通っていて日常的にこういう読みを訓練していたからこそ他の人たちが見えてなかったことが見えることってあるよな~、あ、今感じてる!私いま文学部に通ってた意義感じてる!!と色んなことを思い出した次第です。