Forget-me-not

備忘録

FGO「惑う鳴鳳荘の考察」が役者と映像制作をしている新茶の女に刺さりすぎた話

タイトルそのまんまです。

めちゃくちゃ泣きました。

語らせろください。

 

 

※ネタバレ含みます

 

FGOの推理イベント第二弾「惑う鳴鳳荘の考察」が、役者で映像制作者で新茶の女である私にとってあまりにも最高のイベントだったという話です。

 

 

前回の「虚月館殺人事件」に比べたら推理要素はほぼ無というか、全然推理イベントじゃなかったわけなんですが、んなこたぁどうでもいいんです。

各鯖の考察投票で「票が少なかった鯖の考察もマテリアルで見れます」と言われていた時点で、この投票は今回のイベントの中では全然重要じゃないんだろうなということは何となく察していました(それでも新茶がいちばん目立ちそうという基準で投票した)。

イベント全体を通してのシナリオがとにかく最初から最後まで最高でした。そういう話をしたいんです私は。

 

 

まず、役者をやっている身としては、各サーヴァントがいきなりやったこともない役者をやれと言われて戸惑いつつも、段々と自身に与えられた役に責任を持ち、脚本家・紫式部から説明された自分の役の設定の断片からバックボーンを練り上げていくという所謂「役作り」という行為を進めていっていたのを見て、えらいねぇえらいねぇという気持ちでありました。

特にサリエリという不器用な男が、自分を見てもらえないというトラウマを乗り越えながら役者としてのムーブを習得していく様は非常に心が熱くなりました。サリエリ、えらかった。

 

 

そして何よりも、今回のイベントは映像制作業を通った人間にはあまりにもアツいイベントだったのではないでしょうか。

まずマスターである自分がカメラを回してサーヴァントたちを役者に使った映像を撮れるというシチュエーションがもうアツい。

 

そして、3時間でこれまで撮った素材を洗って、当初のシナリオを一旦忘れて新たな結末に従い並べ替え直し、追加撮影が必要な箇所のシナリオを考えて全て撮り切るということが如何に凄いか、もっと言うと、人間には絶対に出来ないことであることがよくよく分かるので、だからこそ「英雄が一堂に会し頭脳を結集したから出来たんです」というFate世界の設定が物凄い説得力を持ってくるんですね。これもアツい。

 

これについて如何に無理な行為であるかを噛み砕いて説明したいんですが、今回彼らが特異点消滅(=スタジオ完全撤収時間)までの3時間以内にやってのけたのは以下の行為です。

 

  • 劇中の台詞からして恐らく完パケが90分前後の映像作品用に撮影した分量(=数時間分)の素材がどんなものだったかを完全に記憶する
  • カットがかかった後のオフショット中もカメラを回し続け、更にそこで何が撮れていたかも記憶する
  • 上記の記憶を瞬時に引き出し、「あの時あれが撮れてるからそこをあそこと繋げば~」みたいな発想を延々出して素材を再構築
  • 繋がらない部分を繋げるための追加シナリオ考案→役者に設定・台詞を入れる撮影

 

いや、絶対3時間で出来ないんですよそんなの。

そもそもロケ数時間分の撮影素材に何が映っていたかなんて、台本がある本番中の素材ならまだしも、オフショットまで覚えていられるはずがないんですね。普通の人間なら。

 

というか、これは私の場合ってだけで他の人は違うかもしれないんですが、私が映像を作る場合は少しでも編集を楽にするために、台本が出来たら絵コンテまで割としっかり作成し、ロケ当日は絵コンテに従って必要な素材しか撮影しないんですね。

そうすると編集の段階になっても絵コンテ通りに素材を繋ぎ合わせていけば、特に悩むことも無く作業が進められるのでめちゃくちゃ楽なんです。

でも、これはデメリットもあって、当初の計画から変更された時に再編集が効きづらいという点があるんです。

多少押さえとして絵コンテに無い絵もその場で思い付いたら撮るようにはしているんですが、それでもシナリオからして絶対要らないなと思う絵は絶対に撮らないので…思い込みっちゃ思い込みなんですけど…頭がかたい。

でも、このイベントでのマスターは、オフショットまでぜ~んぶキチンとカメラを回していたんですね。

これ、元のシナリオのままで行く予定だったら、カルデアの編集スタッフも素材確認しながら「ここオフショじゃねえか!どこだよOKカット!」みたいにいちいち探しながら編集しなきゃいけないので非常に面倒なことになっていたんですね。

けど、シナリオの大幅変更が必要になったらそのオフショット内でのちょっとした言葉を台詞として活かすことができちゃう。

 

そして、英雄たちなら3時間のシナリオ再構築&追撮も出来ちゃう。

というか、新茶なら出来ちゃう。

再編集って言わばズルみたいなもので、「あの素材とこの素材のここを切り出して繋げちゃえばこういう話にでっち上げられるんじゃない?」という、元々の意図を捻じ曲げるような行為とも言えるので、天才的犯罪者、犯罪界のナポレオンである新茶の頭脳だからこそ成し得た業だったのではないでしょうか。

完成した映画や新茶の役自体は本当に良い話・善い役で、それだけでも勿論泣いてしまったのですが、やってのけた行為はサーヴァントたちで作り上げたストーリーを捻じ曲げて別の作品(紫式部が元々考えていたシナリオ)にしてしまうということなので、結果的に良いことをしてはいますが、使う脳としては普段の悪だくみの脳が活きたんじゃないかなって勝手に思っています。新茶かっこいい。

 

 

映画のラストも最高でしたね。

新茶のバーテン霊衣、個人的にはあんまり気に入っていなかったのですが、ここでこういう再登場…!とアツくなりました。

あと私、割と役者本人のパーソナリティを見た芝居の役と同一視してしまいがちなので(馬鹿の所業)、つい新茶のこともこの映画のような実は善人と思ってしまいがちなんですが、絶対そんなことないので……と思いつつ、本心を隠し憎まれ役を買って出ながら周りの人々のために生きる男・新茶もすごいダンディで良かったなと思います。

光源氏って悪い男だなと思う派なんですが、そんなただの光源氏に留まらず、実はちゃんと紫の将来をも見据えて動いてくれていたというのが非常に…非常にダンディ……!(号泣)

 

 

とにかく「惑う鳴鳳荘の考察」、最高でした。めっちゃ泣きました。

FGO制作チームの皆様、本当にありがとうございました。

なんか尻切れトンボな感じですが、勢いで書いたので許せ。